
信州味噌
真っ白なおむすびにちょこんと味噌をつけてパクリとかぶりつく。
はたまた寒い日の朝、湯気が立ちのぼるあつあつの味噌汁をズズーっとひとくちすする。
山吹色に輝く信州の伝統食、信州味噌。
昨今の発酵食ブームのずっとずっと前から、信州人は味噌が大好き。汁物、炒め物、煮付けやらの基本的なおかずだけにとどまらず、おやきにまんじゅう、ぐつぐつ煮込んだうどんまでもが味噌仕立て、となにかにつけて年がら年中味噌を食べる。
鎌倉時代、宋に渡り味噌の製法を習得した松本の覚心上人が、自身が創建した佐久の安養寺で布教のかたわら味噌づくりを広めたのが信州味噌の始まりといわれる。
時代を経て戦国時代、武田信玄が行軍用の兵糧として川中島溜をつくらせたことで、信州に味噌づくりが普及。
その後関東大震災、第二次世界大戦後の二度にわたり、壊滅的被害を受けた東京に救援物資として送られたことをきっかけに評判が高まり、急速に発展拡大。今や日本全体で生産、消費される味噌のおよそ五割を占めるほどに。
数々の歴史を紡ぎ、八丁味噌、仙台味噌と並び、日本三大味噌に数えられるまでになった信州味噌。関西の麹が上品に香り立つ、はんなり女性的な白味噌にはほど遠い、キリッと男前な淡色辛口を信条としている。
とはいえ、ここ信州には味噌蔵が百軒以上あるといわれ、原料である大豆や米、塩、水の違い、そしてそれぞれの蔵に住む蔵付き酵母により、味噌は蔵ごとの個性を纏い、格別な風味を醸していく。
そのため、ひとくちに信州味噌といっても、その味わいは百通り以上。
これだけあると、好みの味噌に出会えたときの喜びも大きい。
いくつかの蔵を巡り、何度も試す。
ひとつずつ、ゆっくり時間をかけて、相思相愛の味噌に出会うまで、じっくりと。
そうしてたどり着いた味噌の、冴えた山吹色に感心して見入り、それから、いつもよりほんの少し気持ちを込めて味噌汁をこしらえる。
すると、ちょっとした幸福感を味わえる。
なんてことのない、ちょっとした幸福感。
だけど、いつもの日常にはない幸福感。
第二次世界大戦敗戦後、食糧難に苦しむ東京を救った信州の味噌。
山吹にたとえられたあの澄んだ独特の色合いは、絶望の淵に沈む人々に元気を与えたという。
山吹色の信州味噌には、人々に小さな幸せをもたらす、特別な力が宿っているのだろう。
なじみの蔵を少しだけご紹介
文政四年創業、上田の大桂商店。
良質な国産原料のみを使い、手造り、天然醸造、無添加、吟醸、生、にこだわり、最高の品質を追求し続ける蔵。
ブッフェの味噌汁に使用しているこちらの味噌は、伝統的な田舎味噌から大吟醸味噌、発芽米味噌、さらには懐かしくも新しい限定品の甘味噌、と実に幅広い。
中でも『奏龍大吟醸 雅〜Miyabi』は幻の地大豆「こうじいらず」と地元こしひかりで仕込んだ極上品。信州東信地区の一部のみで栽培されるこうじいらず大豆は、麹なしでも味噌になる程に甘くて美味しいといわれており、この味噌はその自然な甘みと旨みがぎゅっとつまった逸品。
甘すぎず、いい塩梅にキレのある味噌が好み、という方におすすめ。
延宝二年創業、小諸の信州味噌。
創業は日本橋三越本店の一年後にあたるそう。
山吹味噌で知られるこの蔵は小諸荒町の旧北国街道沿いに所在。江戸中期につくられたといわれる趣ある看板が目印の情緒ある佇まいに惚れぼれする。
340年以上の歴史を刻む蔵で自家培養した酵母菌と浅間山の伏流水とでじっくり時間を惜しまず造り出される味噌は、濃厚な香りの昔ながらの赤つぶ味噌、一月の大寒に仕込みじっくり寝かせた大寒仕込み、信州仕立ての白味噌、と多種多様。
中でも柔らか仕込みの『コクとかおり』は旨みの素であるたんぱく含有量が多い白眉大豆をゆっくり低温熟成させた、その名の通り深いコクとふくよかな香りがたまらない名品。
程よい甘みとコクが調和する、風味豊かな味噌が好み、という方におすすめ。
明治四十二年創業、佐久の中屋商店。
歴史は浅いが佐久で知らない人はいない、佐久地方の主婦のハートを鷲掴みにする味噌蔵。
シンプルに麹の割合を変えた、10割、12割、14割の3種類のみで直球勝負。
中でも『芳熟12割』は甘さと辛さのバランスが秀逸。一般的な信州味噌より一段上の際立つ旨みが特徴。
甘みもコクも旨みも香りも、バランスよく全部欲しい、という方におすすめ。