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京都と渋沢栄一のご縁③

2021/05/09

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皆様 こんにちは


第3回目の京都と渋沢栄一さんのご縁 


今回ちょっと主題から離れてしまってますが『大政奉還』と渋沢栄一についてのお話です



皆さんは渋沢栄一が二条城で大政奉還が行われた際、海外に行っていた事はご存知でしょうか?

フランス パリ に居られたそうです 何故激動のこの時期にパリに居たのでしょうか??


遡ること約150年前 1867年1月、渋沢は、将軍・慶喜の弟、徳川昭武を公使とする遣欧使節団に

随行を命じられ、欧州巡歴の旅に出発しています、第一の目的は万博を舞台にした国際デビュー

が目的でした、しかしこの万博にライバル薩摩も国の代表として出席をしていたのでした。

※当時は日本という国の概念が現代の我々と違うものですのでこのような事が発生したものと

思われますが、詳しい方はこっそり教えて下さいませ(泣)


渋沢が任されたのは、庶務・会計係。滞在先のアパートの賃貸交渉をまとめたり

投資にチャレンジしたりと、縁の下から幕府使節団を支えることになります。

現地での滞在費用を工面する為の投資だったようですが、外交での対薩摩との戦いをしながら

海外での投資なんて頭が良くないと絶対勝てないですよね・・・


しかしながらこの外交戦争 徳川代表団 薩摩代表団がもたらした展示品によって

日本は世界に認められ、芸術の分野では『ジャポニスム』

と呼ばれる動きが巻き起こります。コロナ前海外からのお客様、京都にたくさんお越し頂けましたが

来日の理由の源流ともなりました。


時は1867年 10月14日 パリ滞在の時にその時が来ます!! 二条城での徳川慶喜による、大政奉還です

(二条城の大政奉還の舞台は皆様行った事がありますか?思ったよりも小さい広間なのですが、ズシっと

重さを感じる場所です、歴史的背景を知ってるからではなく本当に重さを感じる空間です 個人的感想)



徳川昭武 渋沢栄一は1年半程滞在していたようですが、現代で言うと海外派遣されていて本社がピンチ

仕送りもどうなるか分からない・・・怖すぎです

翌年1月3日には戊辰戦争開始、徳川側の敗北で終わります (戊辰戦争初期戦力ははるかに幕府側が多かった

のですが惨敗、遣欧使節も引き上げとなります)



その後・・・1868年 12月 日本に帰還した渋沢は静岡藩(徳川宗家)に戻ります 皆さんが良く知る渋沢栄一はこれより

後のイメージですが今回はここまでに致します。


長々と素人の書く、拙い文でしたが最後までお読み頂きありがとうございます、また次回に続きます^^

 
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