皆様 こんにちは
第二回目の京都と渋沢栄一のご縁
今回紹介させていただくお話は 新選組と渋沢栄一のお話です。
新選組といえば大変有名な剣客集団ですが、剣のイメージがあまり
無い渋沢栄一 どのような関わりがあったのでしょうか?
慶応2年(1866)渋沢栄一は当時幕臣で、陸軍奉行支配調役という役職でした
この陸軍奉行配下として京都に赴任していた時に治安を守る組織であった新選組
の面々と会うことになります。
その年の10月頃、元見廻組大沢源次郎が謀反を企ての情報により
陸軍奉行調役の渋沢が捕縛に向かうという事件がありました。
このとき、渋沢の警護役として呼ばれたのが新選組でした。
新選組からは局長近藤勇が渋沢と面会し、捕縛について打ち合わせしています。
実際に会った近藤の印象について、渋沢はこのように語っています。
『見た感じと違い、物事の判った温厚な人物』と評しています。
(意外・・・、私のイメージしてた方ではない感じ)
捕縛当日は近藤は所用の為 近藤の指名で、鬼の副長土方歳三他数名が警護に当たります。
(当時は大きな組織の新選組ですが、副長自ら警護している渋沢は新選組に
評価されているかが分かりますよね)
その土方率いる新選組と捕縛に向かう最中に、突入時に関しての取り決めで隊士達と揉め事があったようです。
新選組隊士と言い合うなんて、、肝のすわった方ですよね(渋沢さんも斬られるかもと思っていたかもですが
かなり頭にきてたようです)
間に土方が入り仲裁し(土方は渋沢より5歳年上でした) その後、無事捕縛も出来たようです・・・・
時は移り
新選組と渋沢は同じ幕臣でありながらその後の運命はまったく違うものでした。
近い地域で生まれで出自も近く、同じ道を同時に歩いても、人の運命は分からないですね・・・
京都で彼らは大志を持って空を見上げたことかと思います、京都にお越しの際は、青空に偉人を映すのも
良いですね。
長文を最後まで見て頂きありがとうございました、また次回更新をお待ちいただければ幸いです。